WWDC 2007 基調講演を観て(3)〜 Safari for Windows 編 〜


(1) では「Safari 3 パブリックベータ(全般)について書く」と書いていましたが、Mac 版に関しては、WebKit アップデートの恩恵に シイラKaku であずかっている以外は、ほとんど触れていない(おい)ので、今回はやはり Safari for Windows にフォーカスしたいと思います(前述の記事のコメント欄に、すでに結構書きましたが)。

恒例の「 One more thing… 」で Safari for Windows が登場したとき、「すげえ!」と言うより「なんで!?」と思った方は、少なくないのではないかと思います。

それには、本気でブラウザシェアを取りにいくとか、iPhone アプリの開発をサポートするだとか、ウェブアプリ開発者にもっとサポートしてもらいやすくするだとか、いろいろな説が挙げられてい(ると思い)ますが、個人的には、それがメインの目的ではないとしても、結果として Mac OS X の技術や文化を輸出する かっこうになっていることが面白いと思いました。

それを感じたのが、(ちょっとしたことですが)たまたま見た GIGAZINE の記事 のこの部分:

これは本来、Safari ではなく MacOS X の UI の特徴 であって、そこも少し注目されているのが面白いな、と思いました。

これまで Windows に移植されてきた QuickTime や iTunes の UI が、まあ「順当な Windows 版」という印象だったのに対して、Safari for Windows では、上記のダイアログ表示に限らず、過剰なまでに Windows の特徴を抑えて、MacOS X の文化を持ち込もうとしているようにも見えます。

具体的には、まず Lucida Grande を内蔵 してまで Windows のシステムフォントを排除、ClearType は使わず、恐らく MacOS X でシステムワイドで使われている、フォントスムーシングエンジンと同じもの を Safari 本体に組み込む、各 GUI 部品は、「ぶらさがりダイアログ」や「アニメーションする環境設定パネル」も含め、できる限り MacOS X のそれに近づけられている…

結論としては、僕だって Windows アプリみたいな Mac アプリは使いたくないわけで、これはダメなんじゃないか と思うのですが、先に挙げた記事のように、これによって万が一 MacOS X へ興味を持つ人が現れるなら、少し面白いかもしれません。

Win のフォントスムーシング vs. Mac のフォントスムーシング

先ほど Safari for Windows は、MacOS X に搭載されているものと、ほぼ同じフォントスムーシングエンジンを持っている、と書きました。

この点に関しては、僕が Panther で数年ぶり(漢字Talk 7.5.5 以来)に Mac ユーザーに戻ったとき、Safari の表示を見て「ただの Yahoo! がなんでこんなにキレイなんだ!」と驚いたように、Windows ユーザーも確実に感動するだろう(特に、ヒラギノまで搭載された日には。難しそうだけど)、と思っていたのですが、そう簡単にもいかないわけで…

Joel Spolsky 氏が、Windows と MacOS X のフォントスムーシングの違いについて 書かれて います。それによると:

  • MacOS X のものは、多少のにじみが出ても、フォントのデザインに忠実 に表示することを目指している
  • Windows のものは、フォントの線をできるだけピクセルの境界内に収める ことで、可能な限りにじみをなくし、画面上での読みやすさ を目指している
  • 「どちらかの方がいい」というとき、それはただ単にそれに 慣れているから

また上記の記事からリンクされている、Jeff Atwood 氏の 記事 にも:

  • (たぶん、Windows 方式を推しつつも)ディスプレイ自体や、フォントの種類・サイズなどに影響されるから、「完璧なフォント表示方式」なんて決められない

というようなことが書かれています。僕も IE7 と Safari で比べてみましたが、どうでしょう?(あ…、ただし WinXP。)

IE7 を見たあとだと、Safari は UI のフォントからして「もわっ」としている印象を受けます。また Safari は上記の通り、ピクセルの境界を守らないため IE7 より文字の色が濃く、どぎつい印象になり、文字として認識する前に「かたまり」として認識してしまう感もあります。ただ、違うウェブサイトでは、Safari の方が読みやすく感じる場面も…。やはり、どちらがいいとは決められない、ということでしょうか。

それでも僕個人にとっては、MacOS X のシステム全体にわたるフォントスムーシングと、その表示の仕方が「Mac を止められない理由(キラーアプリケーション)」のひとつであり続けているし、いくら見やすくても、美しさと、それにともなう安心感に欠けるものを見続けなければいけないとしたら、コンピュータを使うのが少し憂鬱になるんじゃないかな、と思ってしまいます。

まあ、かつて、マシンの動作がどんなに重くなっても SmoothType を入れていた 人間なので、仕方ありません。


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